もがたり

「もが」こと、私・下河原のことを、のんびり語ります。

本番の月

昨日、所属する男声合唱団「タダタケを歌う会」のコンサート「第肆」が催され、無事盛会のうちに終わった。関係された皆様に改めて御礼を申し上げたく、また次の演奏会に向けての想いを新たにした。

9月と10月は、自分にとって本番の月だった。大小様々な会場で、8つの本番。これだけ歌ったのは、大学の合唱団を引退して以来、いや合唱人生で最も多かったかもしれない。芸術の秋などと嘯く余裕もなかった。
正直なところ、後半は失速気味で、お世辞にも全てに対して万全の準備ができたとはいえない。それについては、ただただ悔しい。それでも、その時々の本番に対して真剣に向き合ったつもりで、その分見えるようになった景色も、多かったように思う。特に、様々なホール、スタジオで歌えた経験は、貴重だった。短いスパンで、多様な音響に触れられたことは、幸せな経験だった。とにかく、今は安堵の気持ちが強い。

振り返ると、この2ヶ月、あるいは4ヶ月ほどのあいだ、いつになくバタバタとしていた。幸い、心塞ぐ出来事も続いていて、とにかくやることのある日々は、とにかく生きることを僕に強いてくれたように思う。決して命を諦めるようなことはなかったろうが、それでも日々を生きることに疲れてしまうこともある。肉体的な疲労などはあったにせよ、日々の理由の連続がかえって僕を立たせ続けていたのだと思う。

ひとまず、ここまでやり終えた自分を認めてやろう。よくやった。まだ未熟なことも多いが、肥やしもたくさん得ただろう。まずは休め。そしてまた歩め、と。

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歩み続けるということが、成長の唯一の方法だと気付く機会があった。ピアノのレッスン、3年半を過ぎて、随分できることが増えた。進歩のなかなか見えない時もあるけれど、とにかく辞めるなという師匠の言葉を信じ、月2回のレッスンはとにかく行くと決めて、続けてきた。最近は、月3回に増やしていただきながら、ようやっと、次のステージに踏み込めるのかな? という気もしている。


思い返せば、どんなに僅かずつであっても、進んでいた。一歩、些細であっても進歩があった。ピアノ以外を考えても、音楽全般の能力が、ちゃくちゃくと変質してきている。結局、だから諦められないのだろう。僕はまだこの先を見れる。そう願ってしまう。
先が見えなくたって、歩きたいのだ。せめて願って、歩き続けよう。

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今日練習を終えて、ようやく10月が終わった気がしている。楽しく充実した時間が嵐のように過ぎ去り、ひとまずあとに残されたのは、散らかった様々なものたち。今一度、身の回りのことから、ゆっくりと立て直していきたいなと思う。